訪問日:2026.7.29(水)
三千院を後にし、昼食とゆずジュースでひと休み。
次に向かったのは、寂光院です。
同じ大原にあるお寺ですが、歩き始めると、少しずつ三千院周辺のにぎわいが遠ざかっていきます。

三千院をあとにして、大原女の小径を歩き寂光院へ。
案内板や石標を頼りに、静かな大原の道を進みます。
細い道。
民家。
畑。
その中を、てくてく歩いていきます。
「あれ?」
なんだか、この感じ。
どこかで知っている。
お遍路みたい。
観光地から観光地へ移動しているというより、人が暮らす場所の中を歩かせてもらっているような感覚です。
四国とは違う場所なのに、歩いていると、ときどき過去の旅と今の旅がつながります。
そんなことを考えながら、寂光院へ向かいました。
三千院とは、まるで違う
この日の前半に訪れた三千院。
美しく整えられた苔庭。
建物。
長い歴史。
私にはどこか、
「どうだ、これが三千院だ。」
と見せてくるような、力強さを感じました。
少し乱暴に言えば、
「どや!」
です。
もちろん、これは私が歩いて感じた個人的な印象です。
そして、寂光院に到着。

緑に包まれた寂光院。
境内には『平家物語』の冒頭にも登場する沙羅の木があります。
静かな境内を歩いたあと、庭を眺めながらお抹茶とお菓子でひと休み。
物語が少し近くに感じられる時間でした。
「あれ?」
と思うほど、小さなお寺でした。
三千院とは、まるで違います。
寂光院は、古くから続く尼寺です。
ここには、平家滅亡後に出家した建礼門院徳子が、亡き人々の菩提を弔いながら過ごした歴史があります。
平清盛の娘として生まれ、高倉天皇の后となり、安徳天皇の母となった女性。
しかし、壇ノ浦で平家は滅亡。
幼い安徳天皇も亡くなります。
生き残った建礼門院は、この大原で静かに余生を送ったと伝えられています。
華やかな世界から、静かな尼寺へ。
一人の女性がたどった人生を知ると、この小さなお寺が少し違って見えてきました。
本堂で聞いた話
本堂では、お寺の方から説明を聞きました。
その中で印象に残ったのが、五色の紐です。
仏さまと参拝する人をつなぐように伸びる、五色の紐。
その意味を聞きながら、手を合わせました。
三千院では、美しい苔庭や建物に目を奪われました。
でも、ここでは、見るものを次々と探すというより、
静かに手を合わせる。
私には、そんな場所に感じられました。
大きなものはありません。
華やかでもありません。
でも、ここには、
祈りがありました。
沙羅の木の前で、お抹茶を
参拝のあと、沙羅の木の前にある縁側で、お抹茶をいただきました。
歩くのをやめて、腰を下ろします。
お寺の方とも、また少しお話をしました。
平家の歴史。
建礼門院の人生。
先ほど本堂で聞いた話。
お抹茶をいただきながら、それまでに知ったことを、ゆっくり自分の中に落としていくような時間でした。
古い歴史を持つ寺院を訪ねれば、現在の建物が再建されたものであることは珍しくありません。
長い年月の中では、火災や戦乱などで失われ、また人の手によって建て直されてきた場所もあります。
それは分かっています。
それでも、この日の寂光院で感じる歴史は、なぜか少し重く感じられました。
そして、帰る前に立ち寄った資料館で、その感覚はさらに強くなりました。
黒く焼けた、小さなお地蔵さま
資料館で目にしたのが、**木造地蔵菩薩立像(旧本尊・六万体地蔵)**にまつわる小さなお地蔵さまたちでした。
びっしりと並ぶ、小さなお地蔵さま。
無事に残ったものがあります。
そして、そのそばには、
黒く焼けたもの。
同じような小さなお地蔵さまなのに、その姿はまるで違います。
しばらく足が止まりました。
近くには、2000年に起きた火災を伝える、当時の京都新聞の記事が大きく展示されていました。
古い歴史の中の火災なら、遠い昔の出来事として受け止められたのかもしれません。
でも、2000年。
私にとっても、それほど遠い昔ではありません。
平家が滅びた悲しみ。
生き残った建礼門院という、一人の女性の人生。
亡き人々を思い続けた祈り。
そして、長い年月守られてきた寺が、火に包まれたこと。
無事なお地蔵さまと、黒く焼けたお地蔵さま。
いろいろな時代の出来事が、小さな寂光院の中で重なっていきました。
三千院には、見るものがたくさんありました。
寂光院には、それほど多くの「見るもの」はありません。
それなのに私は、
なかなかここを離れることができませんでした。
不思議です。
何かを見るためではなく、
ただ、そこにいる。
そんな時間も、お寺を訪ねる旅なのかもしれません。
「また来てください」
そろそろ帰ろうと、境内を歩いていました。
庭に水をまいている方がいて、少しお話をしました。
普段は公開されていない茶室が、公開されることがあるそうです。
その時には、そこでお茶をいただけることもあるのだとか。
「また来てください。」
そう声をかけていただきました。
悲しい歴史をたくさん知った場所。
でも、最後に受け取ったのは、今ここでお寺を守っている方からの温かな言葉でした。
また来てもいい場所が、一つ増えました。
寂光院の詳しい歴史や拝観情報については、公式サイトをご覧ください。
(🌐公式ページ 大原観光保勝会ー寂光院)
さて、どうやって帰ろう
寂光院を出るころには、周辺のお店も閉まり始めていました。
もう少しどこかに寄ろうかと思っても、行くところがありません。
では、帰りましょう。
ただし――
来た道を、そのまま帰るのは面白くない。
大原から京都バスに乗りました。
朝は国際会館駅から大原へ来ましたが、帰りは同じルートを使いません。
向かったのは、八瀬方面。
叡山電車に乗って帰ることにしました。
帰るだけなのに、ルートを変える。
それだけで、もう一つ小さな旅が始まります。
電車に乗る前に、ちょっと寄り道
八瀬に到着。

寂光院をあとにして、大原からバスで八瀬へ。
川では水遊びを楽しむ人たちの姿も。
ここから叡山電車に乗り、京都の街へ戻ります。
叡山電車の八瀬比叡山口駅へ向かいます。
でも、電車に乗る前に、近くの川が気になりました。
川では、家族連れが楽しそうに遊んでいます。
水の中ではしゃぐ子どもたち。
それを見守る大人たち。
三千院。
寂光院。
平家の歴史。
祈り。
そんな時間を過ごしたあとに見たのは、ごく普通の夏の風景でした。
なんだか、少しほっとします。
急いで電車に乗る必要もありません。
少しだけ足を止めました。
予定になかったこんな時間が、あとになって旅の記憶に残ることがあります。
あれ? これが叡電?

八瀬比叡山口駅からは、独特の楕円形デザインが印象的な叡山電車『ひえい』へ。
大原を歩いた一日の帰り道も、ちょっとした旅になりました。
八瀬比叡山口駅から、叡山電車に乗ります。
やって来た車両を見て、少し違和感。
新しい。
私の頭の中にあった「叡電」と、なんだか違います。
もちろん、電車も時代とともに変わります。
でも、自分の記憶の中にあるものと、目の前にあるものが違うと、
「あれ?」
となります。
そんな小さな違和感を抱えたまま、電車は出町柳へ。

出町柳駅で、新旧の叡山電車が並ぶ風景に出会いました。
そして楽しみにしていた「出町ふたば」の豆大福へ向かうと、まさかの夏季休暇。
旅は、思いどおりにいかないこともあります。
👉 豆大福の関連記事はこちら:
▶︎途中下車の旅|出町柳と豆大福、歩きながら心を整える京都の夕暮れ|京都 回復編③
終点の出町柳駅に到着しました。
そこで目に入ったのが、新しい車両と、昔ながらの雰囲気を残した車両。
新旧の叡電が並んでいました。
「ああ、これこれ。」
自分の中にあった叡電にも、ちゃんと会えました。
新しいものと、昔からあるもの。
京都では、そんな二つの時間が同じ場所に並んでいることがあります。
そして、また歩く
ここから電車を乗り継いで帰ることもできます。
でも――
また歩きます。
鴨川を眺めながら、三条方面へ。
朝から大原を歩き、三千院と寂光院を巡り、バスに乗り、叡電にも乗った。
それでも最後は、やっぱり自分の足です。
そして三条へ。
そろそろ、お腹も空いてきました。
夕食を探しながら歩きます。
このあと、予定していなかった一軒のお店へ入ることになります。
👉 🍵美と味|それゆけ!鶏ヤロー!京都三条店|食事難民ゾンビ、若者いっぱいの居酒屋へ
帰り道にも、旅はある
この日の大原では、二つのお寺を歩きました。
三千院は、私には力強く、
「どや!」
と語りかけてくるように感じました。
一方、寂光院は小さく、静かでした。
そこにあったのは、
祈り。
同じ大原にありながら、まるで違う二つのお寺でした。
どちらがいいという話ではありません。
その日の自分によって、心に残る場所は変わるのだと思います。
そして、帰り道。
来た道を戻らず、八瀬へ。
川辺で遊ぶ家族を眺め、新しい叡電に少し戸惑い、出町柳からまた歩く。
大原へ行って、大原から帰る。
ただそれだけのはずだった一日が、帰り道を少し変えただけで、もう少し長い旅になりました。
旅は、目的地を見終えたところで終わるとは限りません。
帰り道にも、まだ小さな旅が残っていました。
🗺️ あわせて使いたい|マイマップ
今回歩いたルートや立ち寄った場所を、マイマップにまとめています。
参拝や散策の計画づくりにも、よろしければご活用ください。
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小さな道を歩いた修道女――Thérèse de Lisieux
大原の寂光院は、建礼門院が祈りの日々を送った尼寺。
では、フランスにも祈りに生きた女性がいたのでしょうか。
19世紀のフランスに、**Thérèse de Lisieux(リジューのテレーズ)**という修道女がいました。
彼女が大切にしたのは、「小さい道」と呼ばれる生き方。
特別な偉業ではなく、毎日の小さな行いを愛をもって重ねていく。
24歳という若さで亡くなりましたが、その言葉は世界へ広がりました。
宗教も時代も違う二人の女性。
華やかではない場所で静かに生きる。
寂光院から、フランスの小さな修道院へ。
祈りの扉を少しだけ開けてみました。
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文法や発音は、YouTubeチャンネル YUMEVOJA フランス語への扉 で解説しています。
さらに詳しい学習記録や再挑戦ストーリーは、このブログのカテゴリー 「フランス語 再挑戦」 へどうぞ。

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見返りを求めない愛――رابعة العدوية
寂光院で、亡くなった人々のために祈ったと伝わる建礼門院。
アラブ世界にも、祈りで知られる一人の女性がいました。
8世紀ごろ、現在のイラク・バスラで生きたとされる、رابعة العدوية(ラービア・アル=アダウィーヤ)。
彼女はイスラム神秘主義の伝統で語り継がれる人物です。
神を愛するのは、天国という褒美が欲しいからでも、地獄が怖いからでもない。
ただ、神そのものを愛する――。
そんな純粋な神への愛を象徴する女性として、後世に大きな影響を残しました。
尼寺とは異なる世界。
それでも、静かに祈る一人の女性から、遠いバスラへ。
祈りは、思いがけない場所をつないでくれます。
“わからない”を、楽しいに変える。
それが「アラビアへの扉」
