訪問日:2026.4.30(昭和の日)曇り
京都に着いた。
天界に戻って来ました。
ははは。
天気予報は雨。
けれど空は曇り。
風が強く、少し肌寒い朝だった。
京都駅に降りると、外国人観光客の姿が目に入る。
「ああ、京都だ。」
最近は、外国の方を見かけると、そう感じるようになってきた。
ゴールデンウィークということもあり、日本人の家族連れも多い。
外国から来た人。
家族旅行の人。
学生の団体。
いろいろな時間が、この街で交差していた。
今日は、子どもの修学旅行用に買った古いデジカメを首から下げる。
取材モード開始。
スマホは便利だ。
でも、お遍路ではGoogleマップを使いすぎてバッテリーがなくなり、写真を諦めたことがある。
真夏には、スマホが熱くなり、撮影できなくなったこともあった。
それに、長く使っていない物も、時々は使ってあげたい。
今日は、
写真はデジカメ。
道案内はスマホ。
役割を分けて歩くことにした。
三十三間堂へ向かう途中、昼食ができそうなお店を探しながら歩く。
まだ時間が早く、「準備中」の札が目立つ。
店先のメニューには英語表記も多い。
京都は、日本の古い文化だけでなく、世界中の人を迎える街でもあるのだと感じた。

京都駅から歩いて三十三間堂へ。
七條大橋を渡り、歴史ある門をくぐる。
白い壁の向こうに待っていたもの
三十三間堂へ入る。
高校生らしい制服姿の小さなグループが楽しそうに入場していく。
リーダーらしき生徒が、みんなの拝観券をまとめて買っていた。
少し進むと、今度はバスで来た学生団体。
「ゴールデンウィークなのに学校行事?」
少し不思議に思いながら歩き始めた。
遊歩道を進み、本線を少し外れる。
朱色の回廊には木の椅子が等間隔に並び、誰も座っていない。
静かな時間だった。
あとで知ったが、この場所は蓮華王院の回廊というらしい。
人は多いのに、少し道を外れるだけで静けさに包まれる。
京都らしい時間だった。

本堂だけではない三十三間堂。
庭を歩くと、静かな京都の時間が流れていました。
本堂へ入ると、最初に目に入ったのは仏像ではなく、白く色あせた壁だった。
団体ガイドの説明が聞こえてくる。
「昔は鮮やかな色彩で描かれていました。」
今はほとんど色が残っていない。
それでも、その壁には長い時間が刻まれていた。
後ろ姿から始まる千手観音との対面
千手観音とは、後ろ姿から出会った。
横から入り、ゆっくりと正面へ向かう。
少し珍しい参拝の仕方だと思った。
そして目の前に広がったのは、千体の観音像。
思わず息をのむ。
圧巻だった。
美しい。
でも、それだけではない。
もし一人でここに立っていたら、少し怖いかもしれない。
それほどの存在感があった。
昔から、この場所は、人々の不安や願いを受け止めてきたのだろう。
病気。
家族。
仕事。
戦争。
別れ。
時代は変わっても、人が抱える悩みは大きく変わらないのかもしれない。
そんな思いで、千手観音を見上げた。
一間ごとに、さまざまな仏像が並ぶ。
父の好きだった阿修羅像の前では、自然と足が止まった。
大きな歴史の中に、自分の家族の記憶が重なる。
そんな時間だった。
一円玉が、お遍路を思い出させてくれた
一間ごとに浄財箱がある。
お遍路用に持っていた一円玉を、一つずつ入れながら進んだ。
お遍路では、お寺ごとにお賽銭箱がある。
歩いて巡ると、その数は思っていた以上に多い。
申し訳ないと思いながらも、私は一円玉で手を合わせていた。
最初のお接待でいただいた巾着袋に入れて歩いていた一円玉が、今度は京都で役に立った。
👉🕯️ お遍路一人旅|最初のお接待。小さな巾着袋に入った一円玉と思い出
一円玉を入れ、
手を合わせ、
また歩く。
その繰り返しが懐かしかった。
止まっていたお遍路が、少しだけ動き出した気がした。
像は、風神で始まり、雷神で終わる。
自然への畏敬と、人々の祈り。
その間を歩いていると、日本という国の長い歴史の中にいるような気持ちになった。
日本が、いつまでも平和でありますように。
自然と、そんな願いが浮かんできた。
父の時計と母のブレスレット
手を合わせながら歩いていると、ふと数珠があればと思った。
代わりに鞄から取り出したのは、母の形見のブレスレットと、父の形見の腕時計。
お遍路では、いつも身につけていたものだ。
久しぶりに腕にはめる。
時計は、今も動いていた。
その姿を見て、少しうれしくなった。
数珠はなくても、
父と母は、一緒に歩いてくれている。
そんな気がした。
通し矢の歴史にふれる
千手観音の裏側には通し矢に関する展示があった。
通し矢とは、三十三間堂の長い軒下で弓を射る行事だ。
江戸時代には、堂の端から端まで約120メートルの距離を射抜く「大矢数」が行われ、多くの弓の名手が記録に挑戦したという。
現在も成人の日には、新成人による「大的全国大会」が開かれ、三十三間堂を代表する行事として受け継がれている。
兄は学生時代に弓道を始め、今も続けている。
きっと兄なら、私とは違う景色が見えるのだろう。
同じ場所でも、人によって心に残るものは違う。
そんなことを思いながら展示を見て歩いた。
京都らしい、やさしい時間
この日は、フランス語がよく聞こえてきた。
内容は分からない。
でも、耳に入ってくるだけで少し楽しい。
売店前では、外国の子ども二人が室内のスロープで楽しそうに遊んでいた。
まー、観音様よりスロープの方が楽しい年頃ですよね。
ははは。
空いている時間だったので、誰も注意しない。
穏やかな空気が流れていた。
ただ、このスロープはじゅうたん敷きなのに表面がつるつるしていて、思った以上に滑りやすかった。
私も歩いていて少し驚いた。
足元に気を付けた方がよさそうだ。
一本の矢を探して
建物の裏側を歩いてみることにした。
観光客も少なく、とても静かだった。
すると、首からカメラを下げた年配の観光客の方が声をかけてくれた。
「矢が刺さってるよ。見てきてごらん。」
えっ、どこだろう。
軒下を見ながら行ったり来たり歩く。
それらしい物が見当たらない。
もう諦めようかと思った、その時だった。
一本の矢が軒下に残っていた。
通し矢で射損じた矢だという。
「見つけた。」
思わずうれしくなった。
教えてもらわなければ、そのまま通り過ぎていた景色だった。
一本の矢を見つけたことで、展示の中の歴史が、少しだけ身近になった。
旅は、こういう小さな出会いがあるから面白い。

建物の裏側にも出会いがありました。
偶然教えていただいた、もうひとつの三十三間堂です。
三十三間堂を後にして
トイレも新しく、とてもきれいだった。
次の観光前に利用しておくと安心だと思う。
さて。
三十三間堂を後にし、昼食を探しながら東寺へ向かう。
時間は12時を過ぎている。
昼食難民にならないといいけれど。
ははは。
雨予報だった空は、結局最後まで降らなかった。
人は多かった。
それでも、三十三間堂には静かな時間が流れていた。
そして、この日動き出したのは、自分の足だけではない。
止まっていた、お遍路の記憶だった。
京都で手を合わせながら、また四国を歩きたくなった。
三十三間堂は、ただ仏像を見る場所ではない。
自分の中で止まっていたものを、そっと動かしてくれる場所だった。
🗺 この日の散策ルート
今回歩いたルートを、マイマップにまとめました。
三十三間堂から東寺まで、京都駅周辺を歩いた一日の記録です。
🍵 あわせて読みたい|美と味
立ち寄った昼食です。
京都らしいやさしい味で、だしで回復したひと時。
👉🍵 美と味|鴨川製麺所の鴨南うどん。京都らしい一杯で、歩く元気をもらう
🚶 次回|途中下車の旅(準備中)
三十三間堂を後にし、歩いて東寺へ。
五重塔の内部で出会った仏像。
空海ゆかりの東寺と、静かな観智院。
そして、お遍路との思いが再びつながる一日を歩きます。
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🧿 フランスへの扉
Arc(アルク)― フランスの弓
Arc(アルク) は、フランス語で「弓」という意味です。
三十三間堂では、日本独自の長い和弓を見ることができます。握る位置が中央ではなく下寄りにあるのも特徴です。
一方、フランスを含むヨーロッパでは、中央を握るロングボウやリカーブボウが主流でした。狩猟や戦いで発展し、現在ではオリンピック競技として親しまれています。
同じ「弓」でも、形は国によってさまざま。三十三間堂の通し矢は、技術だけでなく、精神性も大切にする日本らしい弓の文化なのかもしれません。
✈ フランス語も一緒に楽しみませんか?
文法や発音は、YouTubeチャンネル YUMEVOJA フランス語への扉 で解説しています。
さらに詳しい学習記録や再挑戦ストーリーは、このブログのカテゴリー 「フランス語 再挑戦」 へどうぞ。

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🧿アラビアへの扉
قوس(カウス)― アラビアの弓
قوس(カウス) は、アラビア語で「弓」という意味です。
日本にも**流鏑馬(やぶさめ)**という、馬に乗って弓を射る伝統がありますが、使われるのは長い和弓です。
一方、アラビアでは、馬上で扱いやすいように短く反り返った**複合弓(コンポジットボウ)**が発達しました。小さくても強い力で矢を放つことができ、機動力を重視した形です。
同じ「馬に乗って弓を射る文化」でも、日本は礼法や精神性、アラビアは実戦性と機動力。それぞれの土地や歴史が、弓の形にも表れているのは興味深いですね。
“わからない”を、楽しいに変える。
それが「アラビアへの扉」
