訪問日:2025.5.6(祝日)
■ 美術の静けさに触れた祝日の朝
向かったのは、春に開催されていた特別展
「べらぼうに面白い!江戸絵画」 の会期末が近い小林美術館。
(※半年前の振り返りのため、現在は終了)

江戸時代——日本が最も華やかな文化を成熟させた時代の一つ。
約260年の太平の中で、鎖国政策が異文化の流入を抑えたからこそ、日本独自の美が豊かに開花しました。
館内に入ると、以下のような“江戸の生命力”を肌で感じる世界が広がります。
円山応挙、狩野派、奇才たちの競演。
洒脱で、ユーモアがあり、それでいて圧倒的生命力に満ちた作品たち。
「時間を超えて、絵の中の空気に触れるような感覚」。
この特別展をひとことで表すなら、そんな体験でした。


「べらぼうに面白い!江戸絵画」写真撮影可
■ 江戸絵画のユーモアにほほえむ
展示室には、庶民の暮らしを描いた作品や、
思わず微笑んでしまう戯画など、
江戸の人々の息づかいがそのまま残る作品が並んでいました。
高価な名品ではなく、
名の知られていない絵師の一枚に心を奪われる。
そんな出会いがあるのが、美術館の良さだとあらためて感じる時間でした。
■ 山田宗輔の世界に立ち止まる
— 《消えゆく茅葺民家》《晩秋の里》
特別展 「べらぼうに面白い!江戸絵画」 を見に行ったはずなのに、
心をとらえたのは、思いがけず出会った
山田宗輔(やまだ そうすけ) さんの作品でした。
映画の絵看板制作に携わっていた経歴を持つ山田さんは、
風景の中に“時間そのもの”を閉じ込めるような独特の世界観を描く画家。
当時展示されていた大型油彩
《消えゆく茅葺民家》 と 《晩秋の里》。
どちらも広い風景の中に高齢者がひとりだけ描かれており、
静けさと温かさ、そして微かな寂しさが漂っています。
映画看板の仕事を思わせるような臨場感、
風が吹き抜けていくようなリアルな描写、
絵の前に立つと自然と視線が奥へ奥へと吸い込まれていく感覚。
特に《消えゆく茅葺民家》の前では、
長椅子に腰を下ろした途端、
作品の世界が胸に深く入り込んできて、
しばらく立ち上がれませんでした。
“特別展を見に来たのに、別の作品に心をつかまれる。”
美術館ならではの、贅沢で静かな偶然でした。
今ではもう見ることができないかもしれません。
だからこそ、あの日の空気と時間は
旅の記憶の中で特別な輝きを放っています。
■ カフェで味わった、和のひと休み
くるみ餅と抹茶セット
鑑賞のあとは、併設絵画喫茶「羽衣珈琲」へ。
運ばれてきたのは、
やさしい甘さの 泉州名物くるみ餅 と、
堺の老舗 つぼ市の抹茶 の深い香り。
甘みと苦みが寄り添うこの組み合わせは、
美術を見た後の静けさにそっと寄り添うようでした。
静かにお茶を啜る時間もまた、
旅の中の大切な“間”なのだと感じます。

📎 あわせて読みたい
この日味わった「くるみ餅と抹茶セット」の詳しいレポートは
👉🍵 美と味(大阪・美術館ざんまい)①/③くるみ餅とつぼ市抹茶 — 小林美術館カフェで味わう和のひと休み
■ 次回へつづく
小林美術館で心をゆっくり満たしたあとは、
20食限定の和弁当を求めて 羽衣テラス へ。
次の記事では、
駅ビルで出会った“旅情のある昼ごはん”と、新世界の散歩 を綴ります。

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🧿 フランスへの扉
— 絵は、翻訳がいらない芸術 —**
フランスには「アール・ミュート(mute art)」という考え方があり、
“言葉より先に心に触れる芸術” を指すことがある。
絵が持つ静かな力は、まさにそのひとつ。
絵画の鑑賞に国境がないのは、
“絵は主語も動詞も持たない” から。
感情の受け取り方に、文法がいらない。
だから、山田宗輔の絵の静けさも、
フランス語に言い換える必要がない。
空気の重さや光の色は、どんな言語でも同じように届く。
面白いのは、
フランスでも日本でも “絵の前では人が静かになる” ということ。
言葉の違いより、沈黙のほうが共通語になる。
✈ フランス語も一緒に楽しみませんか?
文法や発音は、YouTubeチャンネル YUMEVOJA フランス語への扉 で解説しています。
さらに詳しい学習記録や再挑戦ストーリーは、このブログのカテゴリー 「フランス語 再挑戦」 へどうぞ。

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🧿アラビアへの扉
— 文字と絵は、どちらも“読む”もの —**
アラビア語は、文字そのものが芸術として扱われる文化を持つ。
「カリグラフィーは“読む絵画”」と説明されることもある。
これは、絵画にも似ている。
絵は文章ではないのに “読む” と表現されることがあるのは、
線や形が物語を語るから。
山田宗輔の絵にある静かな時間も、
見る人の中で“読むように味わわれる”。
言葉ではなく、感覚で受け取る物語。
面白いのは、
アラビア語の文字も絵も「意味より先に形が心に届く」という点。
だから、美術館で感じたあの静けさは、
どんな言語圏の人にも同じように響くはずだと思った。
“わからない”を、楽しいに変える。
それが「アラビアへの扉」
