訪問日:2025.4.29
阪急大山崎駅からスタート
阪急大山崎駅に降り立ちました。
ここから山の上にある「アサヒビール大山崎山荘美術館」へ向かいます。

阪急大山崎駅。静かな住宅地から旅が始まります
坂道を登る
駅から徒歩10分ほど。
思った以上に急な坂道に息が上がります。
でも、「この先にどんな世界が待っているのか」とワクワク感も高まっていきました。

思った以上に急な坂道。到着が待ち遠しい。
アサヒビール大山崎山荘美術館へ
やっと到着。
重厚な門構えと、静かな庭園。建物内は撮影禁止ですが、外観だけでも十分に空気を感じられます。


アサヒビール大山崎山荘美術館の入口。外観だけでも存在感があります。
入館前の道中に小さな小屋があり、
大きな荷物はその無料ロッカーに預けることができます。
美術館内にはロッカーはないので、ここで預けておくと安心です。
この山荘を建てたのは、大正時代の実業家・加賀正太郎。
西洋文化に憧れ、贅を尽くした豪邸を建てました。
歩いてみると「癒し」というより「財力の象徴」という雰囲気が漂います。
しかし加賀家が手放した後、長く放置され廃墟寸前に。
取り壊しの話も出ましたが、サントリー文化財団が保存に尽力し、
さらに現在はアサヒビールが運営しています。
ライバル企業をまたいで守られてきた、不思議な歴史です。

庭園の静けさ。100年前の空気がそのまま残っていました
豪華さ → 荒廃 → 復活。
この流れはまさに「栄枯盛衰」。
大山崎山荘は、ただ美しいだけでなく、時代の光と影を映す存在でした。
宇治へ
次の目的地は宇治。
父との思い出の場所「福寿園」で、冷やし抹茶ぜんざいを食べたかったのですが、到着したのは喫茶閉店後。残念ながら間に合いませんでした。


父との思い出の福寿園。今回は間に合わず。
父が京都出身ということもあり、母が他界してからは、父を元気づけるために一緒に小旅行をよくしました。
その旅の中で立ち寄ったのが「福寿園」。
冷やし抹茶ぜんざいを一緒に食べた記憶は、今でも心に残っています。
今回は時間が合わず入れませんでしたが、宇治に来ると必ず思い出す大切な場所です。

気を取り直して平等院鳳凰堂へ向かいましたが、こちらも閉門時間。
夕暮れの静けさだけを味わうことになりました。
鳳凰は中国神話の霊鳥で、平和や繁栄を象徴します。良い時代にだけ現れる“瑞鳥”とされる一方、西洋の不死鳥(フェニックス)は炎の中で死んで灰から蘇る鳥。
東洋は“平和の象徴”、西洋は“再生の象徴”と、似た存在でありながら背景の文化が大きく違います。
実際に鳳凰を見ることは叶いませんでしたが、門の外で人の流れを眺めながら、「見えないものに思いを馳せる旅」もまた一興だと感じました。
お台所rojiでの夕食
「今日はどうも間に合わない日だな」と思いながらも、AIに相談して見つけたお店「お台所roji」へ。
落ち着いた雰囲気の中で選んだのは鴨料理。
鴨が大好きだった父を思い出し、まるで一緒に食事をしているような気持ちになりました。
特に鴨ロースは絶品。値段も手頃で、満足感のある夕食でした。

父を思い出しながら味わった鴨ロースと豪華なちょい飲みセット。心温まるひとときでした。
📎 あわせて読みたい
この日味わった「 鴨ロースと豪華なちょい飲みセット」の詳しいレポートは
👉 美と味(大阪〜京都)③ 鴨ロースと豪華なちょい飲みセット – YUMEVOJA へ
👉 続きは「美と味③ 鴨ロースと豪華なちょい飲みセット」で。
栄枯盛衰と再会の夜
日本には江戸から続く老舗が多くありますが、守り続けることは簡単ではありません。
大山崎山荘もまた、栄華の時代を経て廃墟寸前になりながら、守る人々の努力で蘇りました。
美しい庭に立つと、ただの豪邸以上に「伝統を受け継ぐ苦労」そのものが見えてくる気がします。
大山崎山荘で見た「栄枯盛衰」、
そして宇治で感じた「父との再会のような時間」。
無計画な旅で行きたい場所に間に合わなかったりしましたが、
代わりに心に残る「旅の余白」に出会えました。
計画通りに行かなくても、旅は思いがけない形で豊かになる。
旅はまだ終わりません。
夜の伏見稲荷大社、幻想的な千本鳥居へ。
👉 [途中下車の旅④ 夜の千本鳥居編] では、この日の全体の行程を時系列+Google Mapでまとめます。
気になるタイトルをクリックすると、その旅の記事へ飛べます。
🌿 続く関連記事(①〜④)
① 高槻編
② 長岡天神編
③ 大山崎・宇治編
④ 夜の千本鳥居編

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🧿 フランスへの扉
− 制度で美を守る国
べルサイユ宮殿の鏡の間は、今も光を跳ね返している。
だが、その光の裏側には、350年続く修復の手がある。
フランスでは19世紀初頭から「文化財保護法(Monuments historiques)」が整備され、
文化を**国家の記憶(mémoire nationale)**と位置づけてきました。
ルーヴル美術館の作品も、教会のステンドグラスも、
国と自治体と専門家がチームを組んで守り続ける。
💬 トリビア:
修復作業は「再生(restauration)」ではなく「継承(transmission)」と呼ばれます。
フランスでは“過去を再現する”のではなく、
“未来に記憶を手渡す”という考え方なのです。
モネの《睡蓮》もその一つ。
光と時間を描いたこの絵は、劣化を恐れて細心の管理がされています。
フランスでは、**芸術も建築も「生きている文化財」**とみなされるのです。
そして今、その思想は日本にも息づいています。
京都・大山崎山荘美術館は、取り壊し寸前だった洋館を
企業と町民が協力して保存した場所。
モネの《睡蓮》が展示されているのは偶然ではありません。
💬 日本とフランス、2つの“睡蓮”は語る。
「美とは作ることではなく、受け継ぐこと。」
文化財を守るという行為そのものが、現代の祈りになっているのです。
✈ フランス語も一緒に楽しみませんか?
文法や発音は、YouTubeチャンネル YUMEVOJA フランス語への扉 で解説しています。
さらに詳しい学習記録や再挑戦ストーリーは、このブログのカテゴリー 「フランス語 再挑戦」 へどうぞ。

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🧿 アラビアへの扉
− 神の創造を人の手で記録する
砂漠の都ペトラは、風と光で彫られた芸術。
岩を削って築かれた神殿群は、
時の流れとともに崩れ、砂に飲み込まれつつあります。
しかしアラビアの人々は、
「失われるものを再現する」のではなく、
「失われる瞬間を記録する」ことを選びました。
3Dスキャン、ドローン測量、デジタルアーカイブ。
それらは、神の作品を写し取るための人間の祈りです。
💬 イスラームの思想では、
“神の創造を人が完全に再現すること”は神への冒涜とされる。
だから、保存とは「形を残す」ことではなく、
「記憶を残す」こと。
この考え方は、実は日本とも通じます。
宇治の平等院鳳凰堂は、千年の間に何度も修復されてきましたが、
その度に「同じ姿を再現する」のではなく、
時代の職人の技と精神を込め直すことで命をつないできました。
瓦ひとつにICチップを埋め、
未来の修復者が“意思”まで継げるようにする――それが日本流の信仰です。
💬 ペトラと宇治、二つの都に共通するのは、
「形ではなく心を残す」保存哲学。
砂漠の岩と檜の柱。
素材は違っても、そこに込められた祈りの構造は同じです。
“わからない”を、楽しいに変える。
それが「アラビアへの扉」
