訪問日:2025.4.29
「阪急長岡天神駅に降り立ったのは、今回が2度目。
最初は冬のことでした。
その日は京都散策の予定でしたが、電車でスマホを見ているうちに酔ってしまい、急遽降りたのが長岡天神駅。
冷たい風にあたり、落ち着いたので、せっかくならと食事と散策をすることにしました。
そのときに入ったのが、今回“竹ごぜん”をいただくことになる『わかたけ』。
『次は、たけのこの季節に来よう』――そう心に決めたのを覚えています。
ただ、その日は雪景色。長岡天神の屋台は1件だけ、ほかの店はすべて閉まっていました。
静かで寂しげな長岡天神を歩きながら、次の季節を楽しみにしていたのです。
そして今回、春。
再びこの駅に降り立ち、念願の“竹ごぜん”と賑わいの天満宮に出会うことになりました。
ただ、さっき高槻で“うどん餃子”を食べたばかりで、お腹はまだいっぱい。
そこで、まずは散策をしながら、お腹を空かせることから始めることにしました。」

ショーケース確認
まずは今回の目的「竹ごぜん」を確認するため、お店のショーケースを確認。
無事にたけのこ御膳が並んでいるのを見て一安心。
ただ値段は4500円。
その場で「高いなあ」と諦めて去っていく高齢の方の姿も何組か見かけました。
私も値段に躊躇しましたがこのために来たので食べることに。
ただ、まずは散策でお腹を整えることにしました。

八条ヶ池の散策
駅から少し歩くと八条ヶ池へ。
水面には新緑が映り、池のまわりを歩く人々の姿も。
ただの“腹ごなし”のつもりが、思いがけず季節の移ろいを感じる時間になりました。



長岡天満宮を参拝
続いて長岡天満宮へ。
前回は雪の中で屋台も1件だけしか開いていませんでしたが、今回は参道に多くの店が並び、春の賑わいに包まれていました。


🌸 長岡京の儚い歴史に思いを馳せる
参拝しながら、この地の歴史に心を寄せました。
ここはかつて「長岡京」が置かれた場所。
桓武天皇が都を移したものの、自然災害や権力争いが重なり、わずか10年ほどで放棄されてしまったのです。
完成する前に終わった都――。
そこには陰陽道の思想も影響していました。
当時の人々は、不吉な出来事を避けるため、新しい土地へ都を移し「運命をリセットする」ことを選んだのです。
今は花と人でにぎわうこの参道も、かつては儚くも消えた都の舞台。
その歴史を思いながら歩くと、目の前の景色がいっそう尊く感じられました。
待ちに待った「竹ごぜん」
ようやくお腹も空いてきて、いよいよ入店。
季節限定・朝採れの竹ごぜんをいただきました。
歯ごたえにメリハリがあり、柔らかさと力強さが共存する一品。
まさに“旬を食べる贅沢”でした。

まとめ
同じ場所でも、訪れる季節や歴史を意識することで、まったく違う旅になります。
雪の日の静けさ、春の賑わい、そして千年以上前の都の記憶。
長岡天神は、ただの観光地ではなく、「歴史を感じながら歩く大人の旅」を叶えてくれる場所でした。
📎 あわせて読みたい
この日味わった「竹ごぜん」の詳しいレポートは
👉 美と味(大阪〜京都)②竹ごぜん – YUMEVOJA へ
小さな出会いが、この日の “途中下車の旅” を豊かにしてくれました。
続きのストーリーはこちらからたどれます。
気になるタイトルをクリックすると、その旅の記事へ飛べます。
🌿 続く関連記事(①〜④)
① 高槻編
② 長岡天神編
③ 大山崎・宇治編
④ 夜の千本鳥居編

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🧿 フランスへの扉
− ベルサイユとフォンテーヌブロー
現・首都パリから南西へ約20km。電車で40分。
フランスの“都”は常にパリにありましたが、
実際には王の時代ごとに“中心”は移り変わっていたのです。
👑 べルサイユ(Versailles)
ルイ14世、太陽王。
彼は自らを太陽に喩え、権力の光でフランスを照らしました。
そして、その象徴として建てたのがベルサイユ宮殿。
巨大な鏡の間、整然とした庭園、果てしなく続く廊下——
それは「王が神であった時代」の頂点でした。
だが、時代は容赦なく回る。
フランス革命が起こり、王は断頭台に消え、
ベルサイユは**“人のいない都”**となりました。
今では、パリから通勤圏内の静かな町。
観光客が列をなし、
あの鏡の間に映るのは、もう民の顔です。
💬 トリビア:
フランスでは「都が滅びる」とは言わず、「都が眠る」と言います。
権力が失われても、美が残る。
それがフランス流の“敗北の美学”。
都は去っても、芸術は永遠。
🌿 フォンテーヌブロー(Fontainebleau)
さらに南へ40km。
ベルサイユよりも古く、歴代の王が森の静けさを求めて訪れた離宮。
ナポレオンが退位のサインをしたのも、ここ。
パリに近いのに、王の孤独と静寂が濃く残る都です。
フォンテーヌブローは言う。
「都は捨てられたのではなく、森に還ったのだ」と。
フランスでは、廃墟ですら上品なのです。
✈ フランス語も一緒に楽しみませんか?
文法や発音は、YouTubeチャンネル YUMEVOJA フランス語への扉 で解説しています。
さらに詳しい学習記録や再挑戦ストーリーは、このブログのカテゴリー 「フランス語 再挑戦」 へどうぞ。

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🧿 アラビアへの扉
− ペトラとパルミラ
現・ヨルダンの首都アンマンから約250km南。
シリアのパルミラは、ダマスカスから約215km北東。
アラビアの大地では、“都が消える”という現象が何度も起こりました。
理由は明快です。
砂漠が、時を食べるからです。
🏜️ ペトラ(Petra)
紀元前1世紀、ナバテア王国の商都。
岩を掘って築かれた壮大な「バラ色の都」。
香料・絹・金が行き交い、商人たちの夢がこの地に集まりました。
しかし、交易路が変わると、人々は去り、
都は砂漠の岩の中に封じられました。
19世紀にヨーロッパ人の探検家が再発見した時、
現地の人々は静かに言ったそうです。
「あなたたちは“失われた都”を見つけたのではない。
神が、少しだけ扉を開いただけだ」と。
💬 ペトラの位置は、首都アンマンから南へ約250km。
その距離は、時代の距離でもある。
首都が動いても、信仰の中心は変わらない。
ペトラは、**“地理ではなく信仰の都”**として残りました。
🏛️ パルミラ(Palmyra)
シリア砂漠のオアシス都市。
かつてはローマとペルシャの交易を結んだ中継地で、
東西文化の交わる“砂漠の真珠”と呼ばれました。
しかし、侵略と戦乱で崩壊。
今は遺跡だけが残り、
その石柱の影で人々は祈りを捧げます。
💬 アラブ世界では、廃墟は“悲劇”ではなく“教訓”。
都の滅びも、神が定めた循環の一部。
ペトラもパルミラも、沈黙の中で信仰を語り続けている。
“わからない”を、楽しいに変える。
それが「アラビアへの扉」
